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囲碁十訣


日本と言わず世界で最も人気のある棋士と言っても過言ではないのではと思うのが本因坊秀策。

漫画「ヒカルの碁」の影響も寄与していると思われますが、外国人と囲碁を話題にすると真っ先に出てくる名前です。

知名度に加えて、伝えられる謙譲で仁愛に富んだ人柄や、神童で御城碁不敗の十九連勝という無敵ぶり。そして夭折の悲劇という、すべてが彼の人気につながっていると思います。

左の署はそんな秀策が生まれ故郷の因島に帰郷した際、石谷廣二という人物に書き与えたものです。

石谷廣二は因島の隣、能美島の出身。やはり幼くして碁に秀で、江戸に出て本因坊門で修行したこともあります。秀策より若干の年長ですが秀策のあまりの天才ぶりを見て感じるものがあったようで、早くに修行を断念して帰郷しますが、生涯にわたって秀策を尊敬し、秀策の死後は、秀策の棋譜集『敲玉餘韵』の出版や、秀策顕彰碑の建碑に尽力するなどした功績を評価され、本因坊家から「策」の一字を与えられたことにより、石谷広策を名乗りました。

さて『敲玉餘韵』の冒頭にも掲げられた秀策の書ですが、文章は秀策の考えたものではなく、中国唐代の名人、王積薪の作として『玄玄集(玄玄碁経)』の序文に収録されています。王積薪は唐の玄宗皇帝に碁技をもって仕えた棋待詔として著名な人物ですが、彼の名に仮託した後代の人の作という説もあります。

それはともかく、十句、四十字の単簡さにもかかわらず、碁の秘訣を凝縮した形で表現していて、秀策が座右に置いたのも頷けます。


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