top of page

林元美「碁経衆妙」序 1


本因坊丈和の「訓戒」に次いで、取り上げるのは林元美(1778-1861)です。林元美は林家十一世。もともと本因坊丈和の師匠、十一世本因坊元丈のそのまた師である十世本因坊烈元の弟子なので、年齢からも格からも丈和の芸兄ですが、井上玄庵因碩が絡む「天保の内訌」という日本囲碁史上に悪名高い事件の重要な関係者でもあり、なんとなくダークなイメージのある人物ではあります。

ところが、ここで紹介する文章からは彼が相当に棋力の低い人の碁も親切に観てあげていたような気配があり、その説くところも、丈和のやや高踏的で難解な態度に比べるとはるかに懇切丁寧で素人にわかりやすいものになっています。

これは彼の重要な著作「碁経衆妙」の序文ですが、「碁経衆妙」自体が一般の愛好者向けの詰碁集であり、彼がこの本の執筆に至った動機が一般の碁愛好家の棋力向上を願ってということなので、序文は想定される読者のレベルに合わせたものとなっています。

ただし、画像に示すようにやや変体気味の漢文、しかも読みにくい草書体。おまけに現代ではほとんど聞かれない漢語、熟語がいっぱい使われています。

ここでは解読のお手間を省き、読み下しながら解説をさせて頂きます。

碁路三百六十のみ、而して古今同局無し、

其の奥妙、如何なるや不測也。(中略)

書き出しの句の「古今同局無し」は元美の独創ではなく、古来よく言われていることですね。そして、碁は計り知れない深さを持っているのだと言います。「其の奥妙」はこの序文のひとつのキー概念になります。そしてこの詰碁集も「衆妙」と言い、その「妙」を集めたものと標榜しています。

棊を学ぶに要道あり、上は石師を得、下は良友を得、志を致し、心を専らにし、師説を服膺して墜さず、好んで友朋と討論し、座隠の際は、言笑せず、睇視せず、勝を好んで、敗を羞じず、棊の思を推し、然れども功ならざる者は未だ之有らざるなり。

「要道」は大切な道。「石師」は碁の先生のことでしょう。「服膺」は心にしっかり止めること。

「座隠」は碁を打つこと。「言笑」は談笑と同じ意味。「睇視」は細目で横目にものを見ること。「一再」とは一二回。

碁を勉強するのに大事な方法がある。一番良いのは良い碁の先生を得ること。最低限、碁を打てる相手がいる。先生の言うことはしっかり心に止めて忘れないこと。打ち碁についてよく検討すること。

対局の際はおしゃべりはしないで、しっかり碁盤を見て集中すること。勝ち負けを気にしないこと。そして、碁についてよく考えをめぐらすこと。このようにして、それでも上達しないものは未だかつていない。

つづく


特集記事
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page